白田の手
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白田の手

 
白田のニットはわたしたち職人の手から生まれています。
右へ左へと編み機を操る手、小さな網目を針に通す手、ボタンやタグを縫い付ける手。
わたしたちの手のこと。
ニットに触れたとき、袖を通したとき、思い浮かべてもらえたらうれしいです。


編み物と呼吸を合わせ、一体になるような気持ちで編んでいます。

 
編み立て職人小松和世
 
編み立て職人|小松和世

 
ずっとものづくりへの情熱を灯し続けてきた彼女。テレビで見たシラタのものづくり精神に感動し、入社を決意したのは 8年前のこと。編み立て職人として、昨年からはあまり糸をいかした「 ITOIRO」のデザイナーとして製作に情熱を注いでいます。
 
—入社のきっかけは?
大学卒業後、弘前で暮らしていた頃に見たテレビ番組がきっかけです。手動の編み機でつくるニット、その技術を大切に継承していくシラタの存在を知り、そのものづくり精神に強く惹かれました。
ずっと好きで細々と続けてきたものの、仕事につなげるのは難しいと思っていたものづくり。シラタの存在が心に引っ掛かったまま数日過ごしましたが、「ここで働きたい!」という気持ちは日に日に強くなり、応募書類と自分が今まで製作してきたニットの写真を送りました。
 
—ものづくりの原点は?
子どもの頃に通っていた学童保育がとても家庭的なところでした。先生がぬいぐるみをつくったりパンを焼いたりする方で、とてもいい思い出として心に残っています。ものづくりの原点はそこにあるかもしれません。編み物教室に通っていた叔母に教えてもらったこともあり、小さい頃から編み物は好きでした。
大人になってからは東京・目白の「 mon sakata」で少しニットをつくらせていただいたり、スキルアップのために機械編み教室に通ったり。編み機でつくるニットのおもしろさを感じながら、わずかながら技術も身につけてきました。
 
—今、担当している仕事内容は?
編み機でパーツ( 身頃、袖、付属品)を編んでいく、編み立てを担当しています。
昨年からは、あまり糸を使った「 ITOIRO」のデザイン製作もまかせてもらうようになりました。糸って同じ色でもロットが違うと使えないので、どうしても編みきれずに残ってしまう糸があるんです。そういった一着の製品にはなれない糸を集めて、「いとをおもい、いろをかたる」というコンセプトのもと一着のニットに仕上げるのが「 ITOIRO」。無駄にしないっていいですよね。色合いやデザインを考えながら、感覚で色を変えることもあるんですよ。
 
編み立て職人|小松和世

編み立て職人|小松和世

編み立て職人|小松和世

 
—仕事をする上で心がけていることは?
自分と編み物そのものが一体になるような気持ちで編んでいます。離れないように、呼吸を合わせるようなイメージでしょうか。
あとはとにかく集中することですね。以前先輩に集中するコツを尋ねたら「数に集中するといい」と言われました。たしかに数を頭に思い浮かべてそれに集中すると、余計なことを考えなくなります。
 
―仕事のやりがいは?
編むことを仕事にできている、ということ自体にやりがいを感じています。
立ち仕事ですし、同じ姿勢で細かい作業を続けるのでたしかに大変だし疲れるんです。でも「もっと編みたい!」と思うのは、やはりこの仕事が好きだからなんでしょう。編み機のリズム感が心地よくて、ずっと編み続けたくなることがけっこうあるんです。ランナーズハイみたいですね ()
 
―白田のカシミヤの魅力は?
シラタで働きたいと思った時にホームページで見た、女性職人の編み機に向かう姿や、にこやかな女性たちの写真から、シラタで働く人のパワーをすごく感じました。実は家の壁に貼って、その写真を支えにしていた時もあるくらいです。そんな職人たちが編むニットは軽くてあたたかく、大量生産の機械編みには出せない風合いがあると思います。
 
―今後の目標は?
入社 9年目になるので、「編むスピードを速く、そして丁寧に」を心掛け、編み立ての技術を磨いて唯一無二の職人になっていきたいですね。また、 「ITOIRO」を世界の方々にも広めていきたいです。
 
編み立て職人|小松和世

 
編み立て職人|小松和世

 
編み立て職人|小松和世

 

「後悔したくない!」34歳で職人の世界へ飛び込みました。

 
編み立て、リンキング職人 智裕(あだ名:じんちゃん)
 

編み立て、リンキング職人|神 智裕(あだ名:じんちゃん)

 
2年前、 34歳で職人の道に飛び込んだ彼女。技を極めるのに 3040年掛かるこの世界では、やや遅いスタートですが、ものづくりへの情熱は人一倍。シラタでは初となる、編み立て&リンキングの「二刀流職人」を目指し日々ひたむきに努力を重ねています。
 
—入社のきっかけは?
「素敵なところだな」と前々から SNSをチェックしていました。職人への憧れはずっと持っていましたが「自分にはできない」とあきらめていました。これからどうしようかと悩んでいたタイミングでシラタの募集を知りました。その時 34歳で、応募できるのは 35歳まで。「いま自分の道を決めないと後悔する」と衝動的に書類を送りました。
 
—ものづくりの経験は?
小さい頃から手芸が好きで、手芸店で働いたり、知人から頼まれて手作りしたり。ものづくりを極めている人への憧れもあり、高校卒業後、着物を一から仕立てる和裁士の学校に入りましたが体調面で断念。頑張れきれなかったことを引きずっていました。編み物だけではなくいろいろな手芸をしてきたのでシラタの「技術を継承する人を育てたい」という考えにも魅かれ、ここなら自分の力を生かせるのではという期待もありました。
 
仕事内容は?
主に編み立て(編み機で糸を編む作業)を担当しています。どうしたらもっとスムーズにきれいに編めるかを日々試行錯誤しています。「修業」のような感覚が楽しいですね。
編み機の基本となる棒編みの知識を増やしたいので、編物技能検定の勉強も最近自主的に始めました。リンキング(横編みニット特有の縫製作業)も教えてもらい、忙しい時にお手伝いしています。リンキングを経験したことで糸の硬さや伸び具合を知ることができ、編み立てにも生かせているような気がします。
 
—今後、目指す姿は?
編みたいものの編み図を書けること、理想の形に編み上げるための技術と知識を深めている職人さんになることです。
職場の皆さんの働いている姿がとてもかっこいいので、私もそのメンバーの 1人としての矜持を大切に、夢を叶えていきます。
 
 
編み立て、リンキング職人|神 智裕(あだ名:じんちゃん)

編み立て、リンキング職人|神 智裕(あだ名:じんちゃん)


テレビ番組でシラタを知り、即訪問、入社を決めました。

 
リンキング職人小林あかり(あだ名:コバッチ)
 
入社6年目の〝若手〟編み子さん。
学生の時にテレビ番組でシラタの事を知り、工場に直談判してきてくれた行動力溢れる彼女。
現在は「リンキング」という工程を担当しています。
 
—入社の動機は?
以前からファッションに興味はありましたが、学校ではその分野の専攻をしていたわけではありません。
山形で学生をしていた時、偶然見ていたテレビ番組でシラタのことを知り「こんな会社があるんだ!」と衝撃を受けました。すぐに工場に連絡をして両親と共に工場を訪れ、見学をさせてもらいました。
「こうやって服ができていくんだ」という感動と、職人さん達の熱量に圧倒されたことで、すぐに入社を決めました。
 
—担当している「リンキング」とはどんな作業?
編まれたパーツをひと目ひと目専用の機械の針に刺して服の形に繋いでいく、横編みニット特有の縫製工程です。
 
入社してから、リンキングの工程を担当するまでの経緯は?
1年目はアイロンがけや糸始末、お直しなどの基礎を習得し、2年目から本格的にリンキングの担当に入れることになりました。
パーツ毎に針の刺し方も違うので、最初はまっすぐ針に刺していくストールのリンキングなどの基本工程をベテランの先輩から教わりました。
段階的に難易度の高い袖や脇などのパーツの縫製に入り、1年程下積みをしてやっと1着全行程を一人でできるようになりました。
それからは効率的に生産できるように仕事のスピードアップを図り、出来るだけ多くの枚数を仕上げられるように未だ精進中です。
 
—今の仕事のやりがいは?
縫ったものを開いてみて、ミスなく綺麗に仕上りを確認したときは毎回達成感を感じますし、とても気持ちがいいんです。
また、展示会でリンキング作業の実演をする機会があるのですが、お客様に「ここも手作業でやっているんだ!」と知ってもらえた時に喜びを感じます。
 
—今後の抱負は?
リンキングを始めて5年目になりますが、まだまだ足りない技術があります。
今でも先輩方から指導を受けたり自分なりに勉強したりと、日々自分の成長を実感しています。
大好きなこの仕事を若い方々へ継承していきながら、共に成長していきたいです。
 
—入社する人に期待したいことは?
私自身、全くの未経験で基礎知識もない状態で入社をしたのですが、ベテランの先輩に厳しく、そして温かく、熱心に教えていただきました。
こういう業界に興味はあるけど未経験で不安という方にも安心してチャレンジして頂きたいです。各々の工程で携わった服が完成した時の達成感と一体感を共に味わい、仕事を楽しんでもらえると嬉しいです!
 

小林あかり

小林あかり

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